
2025年09月5日
従来の分析手法では困難であった化学物質の網羅的な定性・定量を同時に実現する革新的な手法「定量的ノンターゲット分析(qNTA)」の開発と、その多分野への応用に取り組んでいます。
qNTAは、ガスクロマトグラフ質量分析(GC-MS)にポストカラム反応装置と水素炎イオン化検出器(FID)を組み合わせることで、標準試薬を用いることなくあらゆる有機化合物を一括で定量可能とする技術です。これにより、従来法に比べて省力化・低コスト化・高網羅性が実現され、実環境中の未知化学物質のリスクスクリーニングなどに大きく貢献します。
さらに、本手法ではin silico手法を活用した化学物質の物性値および毒性値の予測もあわせて行っており、これにより、製品設計や材料開発、安全性評価など幅広い分野での応用が期待されています。
また、二次元ガスクロマトグラフ(GC×GC)や飛行時間型質量分析計(TOFMS)などの先端機器との統合により、qNTAの分離能・定量精度・検出感度をさらに高度化し、より複雑なマトリクス中の微量成分まで確実に把握できる分析基盤の確立を目指しています。
qNTA技術の主な応用分野
再生プラスチック製品の評価
添加剤や熱処理過程で生じる副生成物、さらにポストコンシューマー材に含まれる予測困難な混入化学物質を網羅的に分析し、得られた物性値・毒性値に基づいて、製品のグレード評価や安全性の確保に活用しています。これにより、高品質な再生材の選別や用途最適化を支援しています。
より詳細な情報は、動画(https://www.youtube.com/watch?v=wA8HY_X26Fc)を御覧ください。
室内空気のリスク評価
例えば車室内環境においては、自動車内装材から放散される多様な揮発性有機化合物(VOC)を定量し、in silico予測によって得られる有害性の情報を統合することで、車内空気中の化学物質のリスクスクリーニングを行っています。
食品・農業分野での安全性評価
食品や有機肥料などに含まれる化学物質を網羅的に定性・定量し、作物や食品中の化学的安全性評価や農業資材の選定に貢献しています。
呼気や体臭分析による疾患診断
呼気や体臭などに含まれる微量の化学成分を網羅的に解析することで、疾病の早期発見やバイオマーカー探索といった非侵襲的診断技術の開発に取り組んでいます。
家畜ふん尿や食品廃棄物などの有機性廃棄物から得られるメタン発酵消化液(バイオ液肥)の高付加価値化と、その普及促進に向けた技術開発・社会実装に取り組んでいます。
バイオ液肥は、化学肥料の代替としてすでに実用化されており、持続可能な資源循環を支える重要なツールとされています。しかしながら、現場では依然として普及が進んでおらず、余剰となった液肥は、コストをかけて排水処理されているのが実情です。この背景には、目詰まりや悪臭、色、成分の希薄さといった実用上の課題に加え、農業者や市民の理解不足といった社会的要因も関係しています。
こうした課題に対し、私たちは以下のような技術的・社会的アプローチを統合的に進めています:
目詰まりや色・臭気の原因となる成分の除去
凝集沈殿やフォトフェントン反応を活用し、液肥の見た目や臭気を改善。使用時の快適性や施用装置の負担を軽減します。
アンモニア態窒素の光触媒を用いた硝化技術の開発
液肥中のアンモニアを植物が吸収しやすい硝酸態窒素へと変換し、作物の成長促進や品質向上に寄与します。
市民参加型の展示・ワークショップによる受容性向上の試み
科学的な成果を分かりやすく伝え、地域住民や農業従事者との対話を通じて、液肥への理解と受容性の醸成を図ります。
本研究は、農業・環境・資源循環をつなぐ実学的課題に応える取り組みであり、「みどりの食料システム戦略」が掲げる化学肥料使用量の低減や地域資源の循環利用にも直結するものです。実用化されながらも普及の進まないバイオ液肥を、「誰もが使いたくなる資源」へと変えることを目指し、持続可能な農業社会の実現に貢献します。
抗菌剤は、私たちの命を守る医療の根幹であると同時に、畜産や水産養殖などの食料生産を安定的に支えるためにも不可欠な薬剤です。家畜や魚類の感染症対策に幅広く用いられることで、病気の蔓延を防ぎ、安全かつ持続可能な食料供給体制を維持する重要な役割を担っています。
しかしその一方で、使用後に排出される抗菌剤の多くは難分解性であるため、下水処理場を通過しても十分に除去されず、環境中へ放出されるという深刻な課題を抱えています。従来の活性汚泥法などの処理プロセスでは、抗菌剤のような微量かつ難分解性の化学物質に対応しきれず、河川や沿岸域に残留することで、薬剤耐性菌(ARB)や耐性遺伝子(ARG)の出現・拡散を助長するリスクが高まっています。
このような薬剤耐性(AMR)問題は、すでに現実の脅威となっており、2019年には世界204の国と地域で127万人がAMRに直接起因して死亡し、関連死も含めると495万人に達すると報告されています。さらに、2050年には年間1000万人がAMRにより死亡する可能性があると国際的に警鐘が鳴らされています。
特に、抗菌剤の使用量が多く、排水処理インフラの整備が不十分なアジア地域では、環境を介したAMRの拡散が世界的な懸念となっており、持続可能な医療・農業・水環境を守るためにも、喫緊の対応が求められています。
本研究室では、医療・食料生産・環境保全の観点から、抗菌剤の持続可能な利用とAMRリスクの低減を目指し、以下の2つの柱で研究を進めています。
環境中の抗菌剤の実態把握とリスク評価
LC-MS/MSを用いて、河川水、排水、養殖場周辺水域などに含まれる抗菌剤を網羅的に分析し、環境中への残留実態を明らかにしています。得られた濃度データに基づいて、生態毒性評価やAMRリスク評価を行い、優先的に管理・削減すべき抗菌剤の特定と排出源の把握に取り組んでいます。
難分解性抗菌剤の除去技術の開発
排水処理の高度化を目的に、抗菌剤の化学構造や水質条件に応じて、オゾン酸化法や促進酸化法であるオゾン・過酸化水素法、およびフォトフェントン反応といった先進的な酸化処理技術の適用性を検討しています。これにより、難分解性の抗菌剤の効率的かつ安全な除去技術の確立を目指しています。
これらの研究は、環境・医療・農業をつなぐ横断的な視点から、抗菌剤の持続可能な利用と水環境保全の両立を図る取り組みであり、特にアジア地域における国際的なAMR対策の科学的基盤構築にも貢献しています。
日常生活において肌に接触する多様な化学物質に対し、経皮曝露を含む実態に即したリスク評価に取り組んでいます。特に、自動車シート、ゲームコントローラー、マニキュアなどの肌に直接触れる製品に高濃度で含まれるプラスチック添加剤や顔料由来の化学物質などに注目し、それらが人の健康に与える影響の科学的解明を目指しています。
近年では、家庭用ゲーム機は子どもが日常的に使用する製品であるだけでなく、eスポーツの普及により学校教育(部活動など)やプロゲーマーといった職業的使用も増加しており、長時間かつ継続的な接触を前提とした曝露評価が求められています。
我々の既往研究では、これらの製品から、リン酸トリフェニル(TPhP)などの有機リン系難燃剤、フタル酸系可塑剤、さらには顔料製造過程で非意図的に生成されるポリ塩化ビフェニル類(PCBs)などが検出されており、これらの皮膚吸収と健康影響が懸念されます。
研究では、人工皮膚を用いた皮膚透過試験、および確率論的曝露モデルを活用し、年齢・性別・製品使用状況ごとの経皮曝露量の推算を行っています。また、衣服の素材や着用習慣、生活スタイルが曝露に与える影響についても詳細に検討しています。
さらに、AIを用いた皮膚透過係数の予測を組み合わせた、迅速かつ網羅的なリスクスクリーニング手法の開発も進めており、製品設計、安全基準策定、化学物質管理に対する科学的根拠の提供を通じて、安全で持続可能な生活環境の実現に貢献しています。
クロルピリホス(CPF)は、シックハウス症候群を引き起こすことが指摘された防蟻剤であり、現在、その使用は厳しく規制されているが、カミキリムシ類への適用等で農薬としての使用は認められている1-2)。CPFは、分子内に三個の塩素原子を有することから環境中に長期的に残留し、生物体内での高蓄積性が懸念されるため、POPs条約においてその規制が検討されている化合物でもある。CPFの殺虫機序は、一般的な有機リン殺虫剤と同様にアセチルコリンエステラーゼ(AChE)阻害であり、Galantamine(Gal)等の植物由来の阻害剤とは異なり、強力かつ不可逆的に阻害することから、塩素原子由来の高残留性という側面だけでなく、有機リン剤特有の不可逆的阻害という側面からも非標的生物を含む長期生態系リスクが懸念される。
そこで本研究では、長期リスクの要因の一つである不可逆的AChE阻害に注目し、その作用機序の詳細な解明を目指した。特に、AChEの基質作用部位の近くに位置するコリン結合領域(CBS)とCPF分子中の窒素原子間の相互作用に着目し、CPF分子構造中の窒素原子を炭素原子に置き換えた化合物(nonN-CPF)を有機合成することで、AChE阻害能、特に不可逆的阻害能を中心に比較・考察した。